紀州の地名由来14
かくれた歴史の発見 和歌山市編

和歌ノ浦
 万葉集には若の浦、続紀に弱ノ浦などと書いている 聖武天皇 神亀元年(724)行幸の時風  光明媚の義を表し明光(ワカ)の文字に改められたが、後又和歌と書くようになった
 
和歌山県
 紀伊半島及び南部は、かつて「木国」「紀国」とよばれており、地方の二字化で「紀伊」になっ  た紀伊国は和歌山県と三重県熊野地方の旧国名で森林資源が豊富な地域である。地名も「  木の国」から来ている 県名は景勝地の和歌浦に対して、山側にある岡山を和歌山としたとす  る説がある 県名は県庁所在地からとった

和 佐
 古昔、大屋神戸の地で郷廃して後和佐の荘となる 和佐は和田と同じく湾曲の意で、この地紀 の川河流の衝に当り地形の変転甚だしく沿川湾曲の状を呈した為この称起ったのであろう 

和佐中

 和佐の称中央に位したのでこの名称がある もと大字の禰宜・関戸・井ノ口と共に一村で和佐 村と称したのが、慶長以来和佐村分かれて四村となった時中村として独立し、明治12年10月  和佐中村と改称した

和 田(地形)
 もと和太とも書く 和田は曲で海兵水隈湾曲の地である 往昔入海の浜で山に沿うて湾曲した ところであったからこの名がある

参考資料
角川地名大辞典
和歌山市史 和歌山県史人物編
紀州の伝説(角川書店)
紀州の民話
続風土記