かくれた歴史の発見 和歌山市編紀州の地名の由来7
地名は歴史の蓄積が醸し出す独自の色彩を伴っている
地名は無形の文化財

坂 田
 大同(806〜)年中大和国高市郡の南淵坂田寺を模して、この地に丈六仏像を造り、寺を建立 して坂田寺という、後人家聚落して一村をなし寺名をとって坂田と称した

作事丁(職業)
 作事方、小役人の居住地 破損屋敷を称した武家の町


 もと山口里村と称したが後畧して里村といった

山東中
 旧山荘の中央に位し、もと中村といったのを明治12年10月山東中村と改称した

塩ノ谷
 土地に塩分を含むこと多いのでこの名があり、もと矢田村の一部であったが、慶長以降独立し て一村となる

塩 屋
 塩道村 塩作りの村 揚浜式

四箇郷
 中古以来、有本(雑賀ノ荘)、加納(直川ノ荘)、松島、新在家(神宮上郷)の四村に分かれて  いたが、明治22年合併して四箇郷村と称し、昭和8年6月市域に編入せらる

地蔵の辻
 はての20日、罪人処刑日 岡町牢より人参の漬物三切れ 目隠し裸馬ににて地蔵の辻 家族 と別へ 八軒家の刑場へ→三墓(火葬場)で土埋 北向地蔵(萬霊離苦得楽塔)ー無縁仏
 はて20日詣り=味噌を供えてー病封じ

芝の丁(武士)
 江戸期、吹上の内に住人頭 佐藤十左衛門(800石)外、4武家の居住地

(武士)
 神波の西南にあり、昔時紀の河中の洲であった

新 庄
 新庄の大字名はもと新荘と書した 旧小倉荘内で後に分立した村という義であろう

水 軒
 藩士朝比奈段右衛門号水軒の拝領地 10年間に肥後松を植え防風林

杉の馬場(武士)
 源蔵の馬場 乗馬、練習場馬駆けをした所
 
鈴丸丁(神寺地)
 これより日前宮、新領地の印に鈴をつけていた

頭陀寺(寺社地)
 昔時真言宗の巨刹頭陀寺があったのでこの地名がある

筒井洋和のイラスト 参考資料
角川地名大辞典
和歌山市史 和歌山県史人物編
紀州の伝説(角川書店)
紀州の民話
続風土記

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