かくれた歴史の発見 和歌山市編
紀州の地名の由来2
地名は歴史の蓄積が醸し出す独自の色彩を伴っている
地名は無形の文化財

上 野(地形)
 もと田井荘に属した 上野の名称は北部山裾の小高い所に村居があったからである

上野町(地形)
 家老 久野丹波守屋敷(現・県庁)北接の「ウエノヤシキ」中央奥詰、金沢弥右門、300石外6家 の武家屋敷地、現雄湊公園附近

植松丁
 「宇津保物語」植松長者の住居地

宇 治
 宇治は古昔この辺の大名である 全て川に沿うた地に宇治と名づける所が多い 一説に宇治 は内の義であるという この地紀の川の内にあるのでこの名あるのであろうか

宇治鉄砲場(職業)
 宇治は紀の川の内の意味 但し、江戸期は鉄砲場は紀の川の堤防外であった 

宇 須(地形)
 宇須の名も宇治すなわち内の義で、海川など外にあり、その内にある意

宇田森
 字内の小名に宇田と森とあり、、もと字田村と森村の二村あったのを合一してこの村名を称した のであろうか 但し、小名宇田は大和宇陀明神を祀ったために起こり、小名は森は延喜式所載 の大社、大屋都比売神社の広大な森があったので起こった名という

内 原(地形)
 新川を西南に繞し、その内にあるのでこの名あるか

梅 原
 もと北部三笠谷の奥に梅の大樹があったという

餌差町(職業)
 鷹匠頭に属し、鷹の餌(小鳥)を捕まえる事を業とする人たちの居住地 

江 南(地形)
 馬場の南にあり、字名は入江浜海の義で、往昔海浜の地である

榎 原
 木の本の東南にあり、木の本の分村であったこともある 区内小字に榎原田あり、大名字はこ れから出ている

大河内
 氷山の南にあり、東部は那賀郡と界を接す 中村との境に川が流れ、廻り淵になっていたところからその名の起こりがあるといわれる 

大 谷
 聚楽は谷に沿うて北部に突入し、谷口広きためこの称がある

太 田(地形)
 土地平潤、地味肥沃で名義自ら明らかである 古来南太田、北太田と区分する

岡 崎
 旧岡崎荘は区内山多く、大日山140メートル 福飯峯などあり、山崎も多いので岡崎の称起こ  ったが、昔は崗前とも書いた

筒井洋和のイラスト 参考資料
角川地名大辞典
和歌山市史 和歌山県史人物編
紀州の伝説(角川書店)
紀州の民話
続風土記

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