かくれた歴史の発見 和歌山市編紀州の地名由来4
地名は歴史の蓄積が醸し出す独自の色彩を伴っている
地名は無形の文化財

北桶屋町(町人町)
 桶屋職人の居住地に由来する 株仲間を形成し、城御台所と作事方御用を勤める 現・本町  公園

北休賀町(人名)
 久賀ヶ渕という池が有り、木材が係留され御材木町と言われた

北釘貫丁 
 城の正北に位置し釘貫門が存在した 御仕入方 竹元 源八外3家の屋敷があった 中門・ 奴(やっこ)の釘貫家紋の名

北甚五兵衛丁(人名)
 江戸期 武家町御弓頭 芦川甚五兵衛(1500石) 御弓同心50人の組屋敷
 
北田辺丁
 家老 田辺 安藤氏の預かり同心居住地

北出島(地形)
 神宮下郷出島に対して北出島という

北野
 弘西の東にあり、もと平田荘の内で北に位したのでこの称がある

狐島(地形)
 もと海中の洲渚であった為島名がある

木の本
 神武帝の時天照大神をこの地厳橿の木本に神籬を建て斎き祭り木本の宮と称したのが地名  の因由であるという

紀三井寺
 名刹紀三井寺山金剛寶寺は寶亀元年(770)唐僧為光の開創で供僧徒者甚だ多かったが、後 世兵乱に遭い寺領掠奪せられたため、供僧等農商を業として妻帯するようになり、寺門の近く 藂落を形成し寺名を取って村名とした

久右衛門丁(人名)
 勘定奉行、宮地久右衛門の御勘定同心町

吉 礼
 もと吉礼ノ荘吉礼村で、久安年中のころ岡崎ノ荘と共に京都歓喜光院の領であったことがある
 慶長検地の際一時岡崎ノ荘をあわせて吉礼ノ荘としたが、いつの頃か、藩時又は旧に復して  二荘となった

筒井洋和のイラスト 参考資料
角川地名大辞典
和歌山市史 和歌山県史人物編
紀州の伝説(角川書店)
紀州の民話
続風土記

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