かくれた歴史の発見 和歌山市編紀州の地名の由来5
地名は歴史の蓄積が醸し出す独自の色彩を伴っている
地名は無形の文化財

杭ノ瀬(地形)
 この辺往昔海の水底で、杭を打った瀬があったのであろうか

九家ノ丁(職業)
 家老久野円波守屋敷(現・県庁)に接し勘定奉行同心 久右衛門の居住地

楠右衛門小路(人名)
 町奉行支配地 文政13年 南新内の小名の1つ 由来不承

楠 見
 楠見の名義は定かではないが、はやく「紀伊國名草郡ノ内楠見粟村」と記されている 後年、 雑賀荘に属した粟村が、当時は楠見に属していた事が分かる

楠見中
 もと楠見荘の中央にあったので中村という、市域編入後貴志中と区別する為楠見中と称する

楠 本
 島区の東、神波の南にある 古昔この地に楠の大樹があった

口須佐
 奥須佐とともに昔時須佐神戸の地であった 薩長検地の時から分かれて口須佐、奥須佐の二 村となった

久保丁
 公家方の居住地

栗 栖
 もと栗栖荘の栗栖村である 栗栖の地名は紀の川の流れに沿うて水の廻る洲という義で、その  荘名は既に粉河所蔵保延(1135)の文書に見えている

車坂町
 聖武天皇が車で坂を越えて玉津島へ行幸された

黒 岩
 古くは畔田とも書いている 土色黒いのでいう

黒 谷
 この地からは正四方の紀三井寺区布引まで平田が続いて山がない、字名黒谷はすなわち畔 谷(クロタニ)の義であろうという

毛革屋丁(職業)
 江戸初期 毛皮商人の居住地に由来

毛 見(宮)
 地名毛見は吉備で、この辺の総名であったのがひとりこの地に遣り、転用して毛見となったの であろうという 

筒井洋和のイラスト 参考資料
角川地名大辞典
和歌山市史 和歌山県史人物編
紀州の伝説(角川書店)
紀州の民話
続風土記

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