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かくれた歴史の発見 和歌山市編![]() 地名は歴史の蓄積が醸し出す独自の色彩を伴っている 地名は無形の文化財 |
杭ノ瀬(地形)
この辺往昔海の水底で、杭を打った瀬があったのであろうか
九家ノ丁(職業)
家老久野円波守屋敷(現・県庁)に接し勘定奉行同心 久右衛門の居住地
楠右衛門小路(人名)
町奉行支配地 文政13年 南新内の小名の1つ 由来不承
楠 見
楠見の名義は定かではないが、はやく「紀伊國名草郡ノ内楠見粟村」と記されている 後年、 雑賀荘に属した粟村が、当時は楠見に属していた事が分かる
楠見中
もと楠見荘の中央にあったので中村という、市域編入後貴志中と区別する為楠見中と称する
楠 本
島区の東、神波の南にある 古昔この地に楠の大樹があった
口須佐
奥須佐とともに昔時須佐神戸の地であった 薩長検地の時から分かれて口須佐、奥須佐の二 村となった
久保丁
公家方の居住地
栗 栖
もと栗栖荘の栗栖村である 栗栖の地名は紀の川の流れに沿うて水の廻る洲という義で、その 荘名は既に粉河所蔵保延(1135)の文書に見えている
車坂町
聖武天皇が車で坂を越えて玉津島へ行幸された
黒 岩
古くは畔田とも書いている 土色黒いのでいう
黒 谷
この地からは正四方の紀三井寺区布引まで平田が続いて山がない、字名黒谷はすなわち畔 谷(クロタニ)の義であろうという
毛革屋丁(職業)
江戸初期 毛皮商人の居住地に由来
毛 見(宮)
地名毛見は吉備で、この辺の総名であったのがひとりこの地に遣り、転用して毛見となったの であろうという
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参考資料 角川地名大辞典 和歌山市史 和歌山県史人物編 紀州の伝説(角川書店) 紀州の民話 続風土記 |